後世で評価を得るということ

ゴッホ展に行ってきた。話題の芸術イベントということもあり、平日なのに混雑極まった東京都美術館。東京での開催も残り日数が少なくなってきたこともあって慌てて足を運んだのだけれど、芸術の文脈を持たない当方でも圧倒された。外国人観光客や冬休み直前の高校生とかもちょこちょこ来てて、ライト層にも十分に楽しめる内容になっていた。
おい立ちから生涯を閉じた37歳までのキャリアがフロアを分けながら紹介されており、作品の製作にあたってモチーフとなった絵画や風景なども展示されていたので、かなりの力の入れようを感じとった。富嶽三十六景なんてこれでもかと掲載されていて、日本に行ったことのないゴッホがこれらをモチーフにし、また拠点にしていた南フランスの港町であるアルルの風景が日本に似通っていた、ということで、これらの要素を製作に活かしていたようだ。
生前は800作も完成させながら売れたのは1枚のみ。実弟と文通ばかりしているかなりの変わり者だったらしいが、こうして後世にこれだけのお客さんに集めるのだからわからないものである。
油彩とインクで表現される世界は製作者のみの領域で構成される。それを画商や芸術専門家や我々のような一般人に全てが理解されるわけもなく、逆に謎に包まれているからこそ、面白いこともあるはず。
昨今はドキュメンタリー番組とかで物事の全てを露出して、多くの人の感動を誘う手法がメインになっている。そういった意味では時代にそぐわない、しかし趣深いものが確かにそこにあった。
基本的に人に評価されてナンボで、当方もそういうスタンスで才能というものを判断しているけど、結局のところはどうなのだろう。埋もれているけど良いもの、脚光を浴びているけど悪いもの、があるのかないのか。
そういうのって評価軸は時代とともに移り変わっていくのかも。